質問 |
山田 豊和 2009/06/21(Sun) 06:28
臓器移植は出来るだけ自国で行うようにWHOから勧告が出されようとしています、これに対応してわが国でも臓器移植を進めるため法律が改正されようとしています。
生き物である以上「死」は必ず訪れます、しかし臓器移植は心停止する前に決断しなくてはならないことがあります。
このような立場に立った場合の当事者としてこのことの意味を考えておくことは決して無駄ではないと思います。
広く御意見を募ります。
私はこのA案について全て理解している訳ではありませんが、本人の意志が不明の場合家族が提供を決められるというところが引っ掛かります。
たとえ家族といえでも別の人格です、本人以外が提供を承諾するのは少々問題ではないかと考えています。 |
助言1 |
真菜 2009/06/21(Sun) 16:05
私はこの法案に反対です。
移植手術を待つということは、人の死を待つ、待ち望むということです。親としても、本人としても耐えられません。
海外で移植を待つ場合、必ず支援団体が出来て、何千万円という金額はすぐに出来るようですが、もっと他のことに使ったほうがいいと思います。
いたいけない可愛いわが子が、難病で、余命幾ばくもないと知ったら、何とかして、生きさせようと思うのが親心でしょう。
しかし、人の生き死には、思い通りにならないのです。運命には逆らえないのです。辛いです。
ただ一つの救いは、その子が汚れないまま、天に召されるだろうということです。
その子の死が無駄にならないようにと、その子の臓器を移植していいものでしょうか?親が勝手に決めていいものでしょうか?
脳死は、人の死でしょうか?
魂は、その容れ物の中にまだあるはずです。いずれ、心臓が止まり、死が訪れるでしょう。それが自然なのです。
本法案に絶対反対!
政権が代わって、廃案になることを望みます。
(インプラントのことについて、質問させていただきましたが、示談成立し、ホッとしているところです。お知らせまで。ありがとうございました。)
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回答1 |
田尾 耕太郎 2009/06/21(Sun) 16:16
一応、他の方の相談に書き込みするのは禁止とさせて頂いていますが、この相談(?)に関しましては一般の方の書き込みもOKとさせて頂きますので、ぜひご意見を頂けますと幸いです。
難しい問題ですね。。。
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助言2 |
Y.K 2009/06/21(Sun) 18:38
山田先生、こんにちは。
まず、先生はなぜこの場でそのような相談(投稿)をしたのでしょうか?
ここは『歯科』の相談掲示板です。
もし先生が、歯科と関係があると思ったのでしたら、
その旨を教えていただけませんか?
もし先生が、単純にその事について他人から多くの意見を伺いたいのなら
ココ(歯チャンネル)ではなく、もっと相応しい別の場が
リアルにしろネットにしろあると思います。
>田尾先生
ココもなんでもアリなんですか?
出すぎた事を言って、申し訳ございません。
正直に思った事を書かせてもらいました。
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回答2 |
森川 2009/06/21(Sun) 21:52
>私はこのA案について全て理解している訳ではありませんが、本人の意志が不明の場合家族が提供を決められるというところが引っ掛かります。
現在でも、本人に意識がない、あるいは治療の可否に関しての判断能力がない場合は、家族の同意で治療が行なわれていますので、特に問題はないと思います。
>たとえ家族といえでも別の人格です、本人以外が提供を承諾するのは少々問題ではないかと考えています。
提供したくないのであれば、事前に提供拒否の意思表示カードを免許証等といっしょに携帯していればよいことですので、それも問題ないと思います。(私の場合は、提供同意の意思表示カードを携帯してます。)
移植を待つ患者さん(とくに子ども)にとっては、やっと動き出したか といった感じだと思います。
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回答3 |
田尾 耕太郎 2009/06/21(Sun) 22:27
>Y.Kさん
なんでもありではありませんが、僕らは"歯"が相手じゃなくてあくまでも相手は"ヒト"ですから、全く関係ないこともないかな〜と思います。
それに、山田先生にはいつも多くの質問にご回答頂いていますし、わざわざ書き込みされるということは何かよっぽど思うところがおありだと思いますので、
「歯科相談室だから歯のことしか書いちゃダメ!」
というのではなく、ある程度臨機応変に見てくださいね。
"決め事"も大事だと思いますが、それ以上に"思いやり"を大切に(^^)
ただ、今回は相談者が山田先生ということでちょっと特別扱いですので、一般の方はあくまでも歯に対する相談オンリーでお願いしますね。
>森川先生
タックルに行き所満載なのに、見事スルーされていて驚きました…(^^;)
>脳死問題について
正直、僕自身この問題について浅い知識しか持ち合わせていないので、なんともコメントできません…
無責任に浅い知識だけで僕の個人的な意見を述べさせて頂きますが、本人に決定することができない場合が家族することができるというのは、医療費負担や心理面、移植を待っている人もいることなどを考えても、ありなんじゃないかな〜という気はします。
何事も解釈によって良い風にも悪い風にも取れると思いますので、今回の件に関してもそういう側面が強いのではないかと思います。
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助言3 |
まめ子 2009/06/21(Sun) 22:51
友達の子どもは、父親から肝臓を移植し、2歳で消えるかもしれなかった命を救われました。
母親である友達は臓器移植で生き延びられる命のことを考え、臓器提供の意志表示カードを持っています。
その友達は、この案が出たことで、通るにしろ通らないにしろ臓器移植のことについて人々が考えるきっかけになったことだけでも意義のあることだと思うと言っていました。
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助言4 |
mona 2009/06/21(Sun) 23:26
私は今回の法案に賛成です。
どんな形であれ子供に生きていてもらいたいという気持ちももちろんありますが、そのためにかかる医療費の支払いもバカになりませんし、医学的に回復不能なのであれば他の方の役に立つことで心が救われる親御さんもいるのではないでしょうか?
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回答4 |
吉岡秀樹 2009/06/21(Sun) 23:42
>僕らは"歯"が相手じゃなくてあくまでも相手は"ヒト"ですから
同感です。「歯科相談掲示板」なので、あまり頻繁だと困りますけどね。
賛否両論分かれるでしょうね。
・・・というか、こういう議論はもっと広く国民を交えてやって欲しいですね。
結論が出なくても良いから「国民投票」をするとか。
>医学的に回復不能なのであれば他の方の役に立つことで心が救われる親御さんもいる
いるでしょうね。多いかも知れません。
ただ『医学的に回復不能なのであれば』という判断を誰がするのか?
実際、難しいでしょうね。医師が死神になるかも知れません。
『ノートに名前を書いたら死ぬ』って。。。
(ちょっと本題とズレちゃってますかね?)
とにかく一部の人間だけでゴニョゴニョやって決めることには反対です。
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回答5 |
田尾 耕太郎 2009/06/22(Mon) 02:02
>とにかく一部の人間だけでゴニョゴニョやって決めることには反対です。
でも、その"一部の人間"を選んでいるのは国民ですからね。。。
僕は政治には本当に疎いのですが、日本人としてはもっと興味を持たないといけないのかもしれないですね。
>Y.Kさん
先ほどはY.Kさんに対して「思いやりがない」と言っているとも取れる書き方をしてしまい申し訳ありませんでした。
実際、Y.Kさんと同じ気持ちの方も多くいらっしゃるかと思いますし、Y.Kさんはその方々の代弁をされたのだと思いますが、時々はこういったこともあっていいのではないでしょうか?(頻繁にだとさすがに困りますが・・・)
先ほども書かせて頂きましたが、わざわざ書き込まれるということは何かよっぽど思うところがおありになるのだと思いますし、その気持ちの大きさは僕たちが想像している以上のものかもしれません。
誰の立場で考えるのか?によって考え方や感じ方は大きく変わってくると思いますが、今回の脳死の件についても正に同じようなことが言えるのかもしれないな・・・と思いました。
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助言5 |
Y.K 2009/06/22(Mon) 04:35
>田尾先生、ありがとうございました。
まず、私も最初に書きましたが
>わざわざ書き込みされるということは何かよっぽど思うところがおありだと思いますので
と、理由があるならぜひとも聞かせて欲しいです。
たぶんこの話は政治がらみになるだろうと予想していましたが
政治の話は抜きにしてもらいたいです。選挙も近いですし。
私はネットの掲示板で人の生死に関わる話をするのには抵抗があります。
>このような立場に立った場合の当事者としてこのことの意味を考えておくことは決して無駄ではないと思います。
わざわざこのような場を設けなくても、
歯チャンネル会員のみなさんはしっかり考えてると思います。
意見を募る必要があるんでしょうか?
ついでに我が家では、山田先生が引っかかったA案の
>本人の意志が不明の場合家族が提供を決められる
に関しては、衆院で可決された日に、自分に万が一の事があった場合は、
どうして欲しいか(移植先が身内の場合なども)をみんなで確認し合い、約束しました。
宗教的な事、臓器・人身売買の問題、お金の事、移植を待つ人、提供する人、その家族の事、などなど考えると
やはり安易に書き込みはできません。
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回答6 |
山田 豊和 2009/06/22(Mon) 06:33
Y.Kさまおはようございます。
歯科医療といえども歯だけ診ているわけではありません、ひとそのものを診ています。
そのとき人を見るに当たって医療者は人生観、死生観、宗教観も問われることがあります。
つまり人とは何なのか、生命とは何なのかと考えることは医療者にとっても医療者以外にとっても決して無意味なことではないと考えています。
個人的には人間理解なくして医療は成り立たないと思っています。
この問題については正解などないのかもしれません、たまたまこの法案が衆議院で可決されたのでこのようなことを自分の問題として引き寄せてみて考える作業をするいい機会だと考えたわけです。
どのような意見についても私がどうのこうのと言うつもりなどありません、考えてみるという作業が大切だと思っているのです。
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助言6 |
Y.K 2009/06/22(Mon) 12:20
山田先生、ありがとうございました。
先生がどのように考えての行動かは良くわかりました。
その上で意見を書かせてもらいます。
先生はここでみなさんの意見を聞いて、自分の考えが変わる可能性があるんでしょうか?
>考えてみるという作業が大切だと思っているのです。
助言5で書きましたが、
考えるだけの作業なら、わざわざ歯チャンネルにスレッドを立てなくたって、みなさんしてると思います。
自分の考えをわざわざ書き示す必要があるとは思えません。(特に一般人に取っては)
ネットの掲示板で一般人を交えて話しをしたところで
殆どが感情論ですし、大変失礼ですがそのような話なら
ちょっと探せば、もっと他の該当サイトがあふれる程でてきます。
田尾先生が
>正直、僕自身この問題について浅い知識しか持ち合わせていないので、なんともコメントできません…
と書いておりますが、たぶん謙遜しての言い方だと思いますが
ネットの公の場では、たとえ医療者としても結局は田尾先生、吉岡先生のような抽象的、曖昧な言い方でしか答えられないと思います。
これがもし、裏の掲示板などで先生方(医療者)同士で意見を出し合う、と言う事ならすばらしい事だと思いますし、医療者としてまた違った考えが聞けるのではないでしょうか?
先生方は大学で解剖実習もされていて、献体の希望者が募集を停止してるほど多くいらっしゃる事はよくご存知だと思います。
そのような事も交え、歯医者(医療従事者)として
人の死、臓器移植について話合う事は有意義だと思います。
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助言7 |
きよみ 2011/07/22(Fri) 23:38
脳死は人の死であるか否か、考えることって医療人としても、一人の人間としても大切ですよね。
歯科衛生士の学校に行っている頃、試験に出て「脳死は人の死ではない」と回答したことを覚えています。
しかし、今は「脳死は人の死である」という考えに変わりました。
もし、自分が脳死になったら意思表示カードを携帯していなくても臓器移植をして、一人でも多くの命を助けてあげてほしいです。
脳死になったら、家族と話したり出かけたりも出来ませんし自分一人では何もできません。費用も莫大で今いる4人の子供たちを食べさせてあげられません。
人間は毎日、起きたり寝たりを繰り返し年を重ねて、死んでいく。
宇宙が永遠に存在するように生命も永遠であると思います。
永遠の命だから、臓器移植をして次の元気な新しい体で生まれて、また新たな人生の旅がしたいと思う。
残された家族には、自分のためだけでなく、周りの人間・社会のために貢献しながら思う存分人生を楽しんでほしい。
主人は復興支援で福島に行きました。将来、臓器がおかしくなるかもしれない。片目も見えません。
もし、私が脳死になったら喜んで臓器移植してあげてほしい。
そして、私の分も長生きしてほしい。
しかし、わが子が脳死となったら認めたくないと考えてしまうと思います。何でもいいから、そばにいたいと思う。
私が子どもを出産した病院で、脳死のお子様がいらっしゃいました。見ていて涙が溢れました。
生まれてから五年以上もカプセルつきのベットです。
目も開いたままで、目が乾かないようにラップを巻かれ、点滴をされ、数時間ごとに看護婦さんが床ずれをしないように、寝返りをしてあげるのです。
家族は一番大切な存在だから、家族が意志表示する=私の意思表示
脳死が人の死でも、そうでなくても家族が幸せになるためならすべてまかせたい。
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助言8 |
fujie 2011/07/23(Sat) 14:11
ここで脳死の問題を語ることは、例外としてなので、賛成いたします。
歯との関連で言えば、もし、歯の治療が、脳死された方の歯でなければできないとしたら、どうするでしょう。
私達は有難いことに、様々なテクノロジーに守られて、幸福な治療生活(?)を送ることが出来ています。
願わくば、臓器移植の変わりに、人工臓器の開発が発展して広がることを願います。
そして、これは需要と供給の問題に関わってもくると思うのです。
需要が供給を上回っている場合、そこに市場というものが生まれます。圧倒的な需要と供給の差、それは富める者と貧しき者という関係になるかもしれません。発展途上の国で臓器を売買するために子供をさらうという事件が多発しているそうです。
臓器問題について、これが一番残酷な要素の一つであると思います。
自分を、あるいは愛する我が子を救いたいと思う心は全世界同じです。同時に、自分の臓器が役に立つなら提供したいという思いも同じだと思います。
ただ、その善は死んでからします。死んだら痛くもないという前提でやるということですよね。生きてるうちはしたくない。だとしたら、こういうことです。
私は臓器移植反対派です。それは、体は心でも魂が抜けるまで24時間は掛かります。その間に身動きできない状態で体を切り刻まれたらどうでしょう。昔からお通夜とかありますが、それは、死んで直ぐに焼いたり埋めたりしないように、との愛情です。
臓器を取り出す際に、死者の血圧が上がるそうです。
そして、聞いたところでは、臓器を取り出す際、麻酔が打たれるそうです。つまり、医者の間でも完全な死体と見てはいない、ということではないでしょうか。
死後のことを知る者として、一言、書かせていただきました。
与えられた人生には意味があります。その環境にも、長さにも、それぞれの意味があります。それを変えることに時間を費やすくらいなら、その限られた時間の中で最大の幸福をつかんでいただきたいと思います。そして、そのことを伝えてあげることが、大切なことだと思います。
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助言9 |
雅史 2011/07/24(Sun) 15:44
私達は、まだ脳死というものに慣れていないのでは
ないでしょうか。
今の医療現場が、どうなっているか、詳しくは
知りませんが、臓器移植するしないにかかわらず、
脳死の段階で、医療行為が中止されるのが
当たり前になり、多くの人が、その現場に接する
ようになった時に、はじめて、
本人の意志が不明の場合家族が提供を決められる
ことにも納得いくように思います。
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回答7 |
池原 良治 2011/07/24(Sun) 19:29
>Y.Kさん
>考えるだけの作業なら、わざわざ歯チャンネルにスレッドを立てなくたって、みなさんしてると思います。
自分の考えをわざわざ書き示す必要があるとは思えません。(特に一般人に取っては)
本題とは少し逸脱しますが、私は「考える」とは「行動」してはじめて
「考えた」ことになると思っています。
ですので、「考え」を書き示すという「行動」はとても有意義なことだと思います。
頭の中で思っているだけならただの「妄想」と変わりないと思います。
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回答8 |
森川 2011/07/24(Sun) 23:19
>宇宙が永遠に存在するように生命も永遠であると思います。
どうでもいい話題かもしれませんが一言。
宇宙は137億歳という説が有力です。
また、このまま宇宙が広がりつづけると、何百億年何千億年先かわかりませんが、いつかは光り輝く恒星はなくなり、真っ暗な空間だけが広がる。あるいは終りを迎えた宇宙はまたビッグバンを起こして再スタートする。といった考え方が今のところ主流ではないでしょうか。
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助言10 |
きよみ 2011/07/26(Tue) 12:46
>宇宙は137億歳という説が有力です。
気が遠くなるほどの歳月ですね。
宇宙からみると、人間や様々な生物の生きている歳月は一瞬ですね。
だからこそ、”いのち””限りある時間”を大切にしたいと思います。
>また、このまま宇宙が広がりつづけると、何百億年何千億年先かわかりませんが、いつかは光り輝く恒星はなくなり、真っ暗な空間だけが広がる。あるいは終りを迎えた宇宙はまたビッグバンを起こして再スタートする。といった考え方が今のところ主流ではないでしょうか。
宇宙って凄いですね。
ビックバンについては詳しくはわかりませんが、再スタートする=誕生ならば、宇宙の生死は繰り返される=永遠ってことですよね。
人体は「星の中で作られ、星が爆発して死ぬときに、撒き散らされた元素」からできていると言っていた方がいました。
だから、人間は星の子っていうのかも知れませんね。
この広大な宇宙のなかで、数ある知的生物が住む星の中から地球という場所に生まれ、しかも人間として生まれてきたことは「偶然」ではない気がします。
また、宇宙が大宇宙と考えると人間は小宇宙なんだよと、祖母から聞いたことがあります。
宇宙が広大であるように人間の脳(心)も無限大に広げていくことが出来るよと。
だから、偏狭なものの見方や生き方でなく、もっと心の度量を広げていける人間になりなさいって。
脳死は人の死か否かについての判断は、とても難しいですが「裁判員制度」ができたように、専門家以外の一般人もともに考えていくことが求められる時代になっていくような気がします。
高齢者が増加している中、持病を持っている方が転倒して「脳死」状態になってしまうケースが全くないわけではないと思いますし、その場所が歯科医医院だったら・・・等あらゆることを想定して考えておくことは無駄ではないと思います。
大切なことは、自分以外の人のことも大切に考えてあげることだと思います。
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助言11 |
えるぐらんど 2012/01/17(Tue) 22:28
久しぶりにこちらの掲示板に来てみて
まだ、解決になっていなかったので。。。
(もし、不快に思う書き込みなら削除してください)
私が中学生の頃、叔父が、くも膜下出血で亡くなりました。
唯一の弟を亡くした父の嘆きは深く、子供心に見ていて本当に切なかったです。
叔父は「健康なだけが取り柄だ」いつも笑っていました。
そのためなのかどうなのかわかりませんが
脳死に近い状態でしたが、心臓は長い間その動きを
止めることはありませんでした。
その頃は今ほど移植の話が論議されていない時代
(少なくても一般的にはそうでした)
心臓がその動きを止めるまで、叔父はベッドの上にいました。
脳死状態になるちょっと前に、叔父に会いにいきました。
私と妹の名前を呼んでくれましたが、実際私達を
認識できていたかどうかはわかりません。
そのあと、すぐに脳死状態になり、心臓以外は
まったく反応しなくなってしまったので。。。
(そのころは、脳死になる=医療行為中止ではありませんでした。
今はどうだかわかりませんが)
叔父が亡くなった後、数年後に脳死後の移植の
話が家族の中で出ました。
もしかしたら、叔父の心臓なら、心臓病で
苦しむ人を助けられたかもしれないね、と。。。
その経験があるからか否か、私は若いころから
「自分に万が一何かがあったときは、使える自身の体の
部分のすべてを移植してほしい」と家族に話しています。
今は臓器移植の意思表示カードがありますが
昔はそういうものはなかったので。。。
自身も持病があるので、どこまでお役にたてるのかは
未知数なんですけど。
私や、私の家族が、脳死後の移植について
考えるようになったのは叔父のおかげだと思ってます。
自分の意思を家族に伝えておくことも、きっと
大事なことなんだろうと思います。
ちなみに私の父も、私と同じ考え方です。
母や妹は、自身のことにはちょっと迷いがあるようですが
私の意志は尊重してくれると言っています。
脳死後の移植は、決して他人からは強制されるべきでは
ないと思うし、また他人の考えに流されるべきでも
ないと思っています。
考えながら書いたので文章が少々(かなり)おかしいかも
しれません。
素人の戯言だと思っていただければ幸いです。
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回答9 |
細見 2012/01/18(Wed) 02:07
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細見歯科医院の細見です。
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私は脳死は人間としての死で有ると確信しています。
それは移植先進国のアメリカでも心臓移植は有りますが脳移植は有りません、それは人間のパーソナリティの全てが脳に有るからです。
心臓は単なるポンプでしか有りません、科学が進歩すればいずれ人工心臓の様な代用品が出来るかもしれません。
幾らコンピューターが進歩しても人格まで再現できる物は出来たとしてもはるか未来だと思います、それまでは脳死は人間としての死だという確信は変わりません。
少なくとも医療人は脳死が人間の死であると理解していると思いたいです。
私は1998.8.20より臓器提供意思カードを常に携帯しております、全ての臓器の提供にOKを出しています。
出来れば全ての人が脳死後の全ての臓器の提供にOKして頂きたいと思っています。
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回答10 |
柴田 (評価4.0) 2012/01/18(Wed) 03:09
知識として脳死は人間死と理解しています。ただ実際にそう判断すべき場面になったことはありませんし、その場面になった場合どう判断するかは分かりませんし、正しく判断できるかは自信がありません。
最近は免許証とか名古屋市国保の保険証に記入し保持しています。
意思表示カードは保持して頂きたいと思ってはいますが、ただ細見先生と違って、その内容は各個人の自由意志であるべきだと思っています。
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